2015年8月19日水曜日

(自分なりの)納得できる文章の作り方


数ヶ月前から気になり始めていたことなのですが、ブログに投稿している最近の自分の記事の文章がどうにもひどくて許せない…そんな思いに駆られるようになっていました。
一度そんなことを考え始めてしまうと、その思いはどんどん強くなってドツボに嵌まり、スランプに陥って時間を掛けても上手く文章をまとめられなくなり、ブログの更新頻度も下がっていって…という悪循環に入り込んでいきます。

元々僕は稚拙な文章しか作ることができないし、語彙も乏しいから、どんなに頑張って作文をしてみたところで高が知れています。
でも、それにしたってこの文章はないよなぁ…と、投稿した記事の文章を読んで、そう感じることが多くなっていました。
実を言うと、投稿後に記事の文章の大規模修正をしているなんてこともしばしば…
そんな作業に時間を取られてしまっていたせいで、新しい記事の投稿頻度はどんどん下がっていきました。

ひとつの記事を作るために、それなりに時間を掛けてテーマを考えて文章を作っているつもりでいたのですが、文章の出来がどうにも掛けている時間に比例していかないのです。
多少の誤字脱字や誤変換は仕方のないことですが、文章にまとまりがなくて何を言わんとしているのかがよくわからない…とか、とんでもない文法間違いがある…とか、文章と文章の繋ぎが強引過ぎて違和感がある…とか、ひどい時には予め決めておいたテーマから大きく外れた内容の文章をだらだらと書き続けている…という有様でした。
これはもう老化による集中力低下ってことで仕方がないのかな…なんて理由付けをして、自分自身を納得させようかとも思い始めていました。

が、しかし!
つい先日のこんな出来事を切欠に、その状況が少し変わり始めたのです。

三週間ほど前のこと、どうしてもその日のうちにブログ上で記事を公開したいということがありました。
でも、生憎その日は一日中パソコンやタブレットを使うことができない環境に居続けなければならず…という状況でした。
うーん…どうしたものかな…と算段をつけようとしたのですが、僕が思いついたアイディアの中で実現可能だったのは、最も原始的で非効率的と思われる方法でした。
それは、『ペンで紙に記事の原稿を書き起こす』というものでした。
原稿を書き起こしておいたとしても、後でデータを入力のための時間が必要になります。
でも、帰宅後にゼロから記事を作り始めるよりはマシかな…と思い、移動時間や仕事の空き時間を利用して、紙にペンで記事を書き起こしていきました。

そんな作業を始めてしばらくすると、僕は不思議な感覚に包まれました。

なんか、めちゃ文章をスラスラと作れている気がするー♪

気がするだけではなく、本当にできていたのです。
ノートPCの前で眉間に皺を寄せて文章作りに苦悩してたのが嘘のように、次から次へと文章が思い浮かんで、それを文字に書き起こすしていくことができるようになっていました。

結果的に、紙ベースでの原稿の書き起こしは30分で完了して、ノートPCでの入力作業にかかった時間は15分と、いつもの1/3程度の所要時間でブログ記事の作成~投稿作業が終わりました。
僕は今まで一体何をしていたんだという…(笑)
一見手間が掛かって遠回りと思い込んでいた手順に依る作業のほうが、実は効率よく時間もかからないということが判明したのです。

話が本題から離れますが、僕が新米プログラマーだった頃、当時の上司に「しっかり机上でコーディング(プログラムのコードを書くこと)してからマシンにプログラムを打ち込めよ。そのほうが絶対に効率良くて仕事も早く終わるから」なんてことをよく言われたものです。
『自分がどんな成果物を作り上げようとしているのか』、それをしっかりと把握して、フレームとディティールをきっちり組み立てて、それができたらはじめてそこで端末に向かってプログラムを打ち込んでいく…IBMや日立のメインフレームで基幹システムのプログラムを作っていた頃には、当たり前のように手で書くコーディング作業というものを行っていました。
あの当時は一台の端末を複数人のプログラマ・SEで共有していたので、そういった手段を以って仕事に取り組まなければならなかったという事情もありました。
でも、時代の流れの中でダウンサイジングが叫ばれるようになり、PCとインターネットの爆発的な進化と普及、それに合わせたコンピュータシステム形態の変化が起こり、システム開発の仕事の取り組み方、進め方は大きく変わっていきました。
端末(パソコン)は一人一台どころか一人の技術者に複数台与えられるようになり、その端末はメインフレームの端末とは比べ物にならないくらい高いスペック(あくまでも端末単体での話です)を装備、更にシステムの開発手法は手続き型からオブジェクト指向へとシフトして行きました。
それによって、PCからアクセスできるリソースをコピペ+修正するだけでプログラムやドキュメントを簡単に作ることができるようになってしまいました。
端末(パソコン)のユーザ・インタフェースとエディタがあまりにも優秀で便利になり、一人に一台のパソコンが普通に貸与されるようになったため、机上でプログラムや仕様書を手書きで作成する技術者はほとんどいなくなりました。
斯く言う僕もその流れに乗りました。
周りがみんなそうしていたし、そうしたほうが効率よく作業できると、その時はそう信じていたからです。
況してや、オブジェクト指向言語を使って構築するシステムのプログラムを机上でコーディングするなんて、絶対にあり得ない…そう思い込んでいました。
でも、今になって改めて考えてみると、それは大きな間違いだったような気がします。

ものづくりの初期段階からパソコンを使って作業をしようとすると、その仕事の取っ掛かりの部分を見つけて掴むまで、無駄に時間を費やしてしまうケースが多々あります。
ベース(叩き台)となるソースやドキュメントが用意されていれば別ですが、ゼロから成果物を作り上げようとするときに、いきなりパソコンに向かっても意外と進捗が上がらなかったりするものです。
そして、終いには集中力が切れてしまい、ネットサーフィンを始めてしまったりするわけです。
どんなに高いスペックのパソコンが用意されていたとしても、その仕事に対するアイディアがまとまっていなければ進捗など上がるはずもありません。

また、パソコンで作業を始めてしまうと、どうしても一発できれいにまとまった成果物を作り上げようとしてしまいがちになります。
一時期、世の中全体的に凄まじい勢いでペーパーレスが叫ばれた時代がありました。
ある日突然、上や客先から『紙は印刷しないで仕事をするように』なんて言われてしまったからさぁ大変!
ちょっとプリンターを使うともう悪人扱いなので、何でもかんでもパソコン上の作業だけで完結させなければいけなくなりました。
その後、そこまで口喧しくペーパーレスを強要されることはなくなったのですが、その時代辺りから紙ベースで作業をする人が激減したように感じます。
もちろん、紙の無駄遣いはNGです。
でも、仕事のために必要最低限の紙への出力は、圧力で抑制したりしてはいけなかったのではないかと思うのです。

自分がこれから作ろうとしている文章やドキュメントを下書きとして紙に書き出すことは、書き出した下書きを並べて俯瞰することができるというメリットもあります。
『図ならわかるけど、文章を俯瞰しても意味ないんじゃない?』と言われてしまいそうですが、まったくそんなことありません。
自分で紙に書いた文章を並べて俯瞰すると、パソコンのエディタでは見えないものがたくさん見えてくるのです。
誤字や脱字はもちろん、文法間違い、不自然な文章の繋ぎ、わかりにくい言い回しなど、不思議とはっきり見えてきます。
そこに赤字を入れて文章を修正していくと、パソコンのエディタ上で文章をまとめるよりも遥かに効率的に、そして美しく文章を作ることができるのです。
文章を書いてる途中、「後で使うかもしれないな…」と頭に思い浮かんだキーワードを紙の端にちょこっとメモって置くことも可能です。
パソコン上でこれをやろうとすると、エディタをスクロールさせる必要があるので、エディタを上下させているうちに何を書こうとしていたのか忘れてしまうなんてこともよくありますね。
更に、その赤字を入れた下書き原稿を見ながらパソコンに文章を入力することによって、「あ、この文章はこんな表現にしたほうがわかりやすいな…」と、デュアルのチェックと文章修正を行うことができます。

そして、僕が何よりもこの原始的なシステムを気に入った理由は、ペンを使って紙に文章をアウトプットすることによって非常に高い集中力が生まれるという点にあります。
自分の書きたいことを紙に書き出していくことによって、集中力が上がり、書きたいことがどんどん湧き上がってくるのです。
30分間本気で文章を書き続けると、とても疲れます。
それはとても心地の良い疲労感です。
パソコンとにらめっこをしながら、うまくまとまらない文章と格闘している時の疲労感とは明らかに違う疲れです。

『出すときは出すことに集中する』

これが納得できる文章を作るために、一番必要で大切なことではないかと思うのです。
紙とペンさえあれば、それができてしまいます。
道具が紙とペンだけなら、文章作りにあきてネットサーフィンを始めてしまうこともありません。
忘れかけていた原始的な手法が、実は最も効率よく成果を上げることができるのだということを、散々遠回りした今になってやっとわかったのです。

アウトプットの手法は人それぞれいろいろあると思うのですが、やはり自分自身でいろいろ試して、自分に合った方法で納得して出力するのが一番だと思います。
もしパソコンの前でなかなかうまくまとまらない文章と戦っている方がいらっしゃったら、自分のルーツを辿って原始的なところまで戻ってみると、そこに答えがあるかもしれません。
自分のルーツを追って辿り着いた先には、今の自分にとって宝となるものがたくさんあるはずです。

それと、手で文字を書くことによって、感じ漢字を覚えたり思い出したりすることもできます。
エディタで山ほどひらがなを漢字に変換しても、漢字を覚えることはまったくできません。
文字を手で書くことによって得られるメリットは、無数にあるのです。

この記事の原稿も、紙とペンから起こしました。
友人と待ち合わせをしているときに、渋谷のドトールの地下で、さらっと書きました。
「なんだ、大した文章じゃないじゃん…」と感じた方もたくさんいらっしゃる課と思いますが、そんなことは僕にとっては問題ではありません。
僕自身が、この記事の文章に納得できていれば、もうそれで十分なのです。
前回の続きになりますが、何事もあくまでも『自分軸』ということで(笑)


J.Takagi

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ

0 件のコメント: